「兄は決めると思ったんです」準決勝で散ったワイルズ……矢野兄弟が示した「ホッケーをできる喜び」
取材・文/今井豊蔵 写真/今井豊蔵、アイスプレスジャパン編集部
第91回全日本アイスホッケー選手権(A)準決勝
12/9(土)@KOSÉ新横浜スケートセンター 観衆:887人
東北フリーブレイズ 4(0−1、2−0、1−2 、延長0−0、 GWS1−0)3 北海道ワイルズ
ゴール:【フリーブレイズ】ボイバン、田中、所、井狩(GWS) 【ワイルズ】青山2、松金
GK:【フリーブレイズ】畑 【ワイルズ】脇本
シュート数:【フリーブレイズ】30 【ワイルズ】35
連盟推薦で全日本選手権に参加した北海道ワイルズの決勝進出は、あとわずかというところで幻に終わった。
昨年の大会を制した東北フリーブレイズと、60分を戦い終えて3−3。さらに5分間の延長戦を終えても勝負はつかなかった。両チーム5人のゲームウィニングショット(GWS)戦にもつれ込み、フリーブレイズがまず選んだシューターはFW矢野倫太朗(やの りんたろう)。この時、ワイルズのベンチにいた弟の竜一朗(りょういちろう)にはある予感があったという。
「兄は決めるだろうな、と思ったんです。ハンドリングがうまいというか、ハンドリングしかない選手なので」
福岡で過ごした少年時代、リンクで一緒に氷に乗るといつもパックさばきで翻弄(ほんろう)されていたのだという。そんな記憶が頭をかすめた。倫太朗はワイルズGK脇本侑也(わきもと ゆうや)から冷静にゴールを決めると、そのまま勢いに乗ったフリーブレイズが決勝進出を決めた。
フリーブレイズの兄・倫太朗とワイルズの弟・竜一朗……それぞれの道が交わった準決勝
勝った側の倫太朗は「簡単ではない試合でした。すごく数的不利の時間が長かったんですが、チームで共通認識を持って耐えられた」と激戦を振り返る。
今年は自身を取り巻く環境が激変した。中央大卒業後、プロになる道を与えてくれた横浜グリッツから、よりホッケーに専念したいと東北フリーブレイズに移籍。アジアリーグ開幕からポイントを重ね、グリッツ時代には少なかった攻撃的な場面でのシフトが回ってくるようになった。GWS戦でのトップ起用も、信頼の現れ。見事に応えてみせた。
大舞台で実現した兄弟対決には、それぞれの思いがあった。
竜一朗は昨季の開幕直後に、旭川医大を休学して当時のひがし北海道クレインズ入り。ただ連続しての休学は2年までしか認められず、この挑戦は最初から今季限りと決まっている。ところが今季のワイルズはアジアリーグ への参加が認められず、全日本選手権というタイトルにかかる重みが違った。しかも竜一朗は、直前の名古屋遠征で足を負傷し、テーピングでガッチリ固めての出場だった。
医者の卵だ。自分の身体のことは誰よりもわかる。「本来なら安静にという状態でしょう。でももう痛いとか言ってられませんから。ケガは忘れて、今できる100%を出し切りたい」と、竜一朗はこの大会に臨んだ。
横浜グリッツとの2回戦で、第2ピリオド6分2秒に決めた勝ち越しゴールは「自分のホッケー人生でもベストと言えます。忘れることがない、とても濃い1年でしたから」と言い切る。
頂点まで上り詰めることはできなかったが、トップレベルでのアイスホッケーをやり切りたいという思いはかなった大会だったのかもしれない。
そして、ワイルズはチームとしても力を出し切るのが、この大会の至上命題だった。
連盟推薦という形で参加し、来季以降のアジアリーグ参加のためにも、チームの存在を少しでも多くの人に知ってもらうことが必要だった。
この点については齊藤毅(さいとう たけし)監督も「選手にもロッカーで話したのですが、ワイルズとして何かを感じ取ってもらうことはできたのかなと。胸を張って釧路に帰ろう」と手応えを感じたようだ。
そして竜一朗も「負けてしまいましたけど、チームとしてもやりきったのかなと思います。チームの価値を伝えられたというか、少しでは感動を与えられたのかなと思う」と言い切った。
矢野兄弟のプレーからは、プレーできる喜びがあふれている。それはホッケーが盛んではない西日本で育ったからこそだろう。
竜一朗は兄のプレーを「悔しいけれどナイスゴールでした。昨年苦労していたのを見ていただけに……。グッとくるというか、感動しました」と称え、倫太朗は医師への道をひと休みしてまでプロを志した弟に「素晴らしい決断だったと思います。同志として、自分の信じる道を進んだのは素晴らしいと思う。ライバルとして高め合っていきたい」という言葉を送った。
今季が終われば、兄弟のアイスホッケーへの関わり方はまた違ったものになる。ただ氷から遠く離れてしまうことは、どうしても想像できない。