北海道ワイルズが戦ったもう一つの開幕戦
ファンの前に立つ姿に齋藤毅監督「言葉が出ませんよ」

9月16日、首都圏に北海道ワイルズが初お目見え。グリーン基調のユニフォームがリンクを駆け巡った

取材・文・写真/今井豊蔵

2チーム対抗交流戦第1戦
9/16(土)@KOSÉ新横浜スケートセンター 
横浜グリッツ 5(4-0、0-2、1-0)2 北海道ワイルズ

※3on3、GWS戦を加味したオリジナルルールでの得点はグリッツ6-1ワイルズ

アジアリーグ加盟が叶わなかったワイルズが、交流戦で首都圏に登場

日本のアイスホッケー界はこの夏、異常なオフを送った。
ひがし北海道クレインズの経営難、給与遅配問題から全選手がチームを離脱。新たに釧路に立ち上げられた「北海道ワイルズ」への移籍を宣言したものの、アジアリーグの規約にある加盟申請期限に間に合わず、チームが宙に浮いた格好となった。そこに手を差し伸べたのが横浜グリッツだ。本来、クレインズとの対戦として組まれていたアジアリーグの日程を生かす形で8試合の交流戦を設定し、16日には新横浜で初戦を迎えた。

北海道ワイルズ大津晃介キャプテン。日本代表の主力もつとめる

この日はアジアリーグの開幕日でもある。
ワイルズのFW大津晃介主将は「僕はこの日、アジアリーグの開幕に出ると思って準備していたので。チームにもそれは伝えましたし、コミュニケーションをとってやってきました」と、ここまでの準備を振り返った。
ただ試合序盤は、グリッツにゴール前で易々とパックを動かされ、失点を重ねた。第1ピリオドが終わって0-4という立ち上がりを、大津は「頑張ろうとする意志がオーバープレーになってしまった。無駄に人数をかけて裏を取られるとか」と悔やむ。

第2ピリオド9分4秒にFW寺尾裕道、12分31秒にFW上野鉄平のゴールで追い上げたものの、2-5で敗戦。敵地のスタンドで、売り出されたばかりのワイルズのグッズを掲げたファンを勝利で喜ばせることはできなかった。

奮闘も久々の試合が影響したのかワイルズはこの日5失点を喫した

齋藤毅監督は「会場の雰囲気というか、お客さんがこれだけ入った試合に最初は飲まれて、ミスが続いていた。2点目を取られたときにあれっと思って…」。
すぐにタイムアウトをとってチームを落ち着かせたものの「立ち上がりの10分でした。スタートから100で行けるような練習メニューを組んでいたんですが」と修正点を口にする。
「まずは明日全力で勝てるように。しっかり作り直すんだと、ネガティブではなくポジティブに捉えたい」。
敗戦後、選手だけでのミーティングも20分以上に及んだ。

「経験値を積める試合の大切さを感じました」課題山積、今後の方策は…

本拠地の釧路ではファンにも練習を公開し、中央大や中国・北京のチームと練習試合を行なったものの、ファンの大きな声援の中でワイルズが試合をするのはこの日が初めてと言っていい。「いけいけワイルズ」と、クレインズ時代と同じリズムのドラムが響き、攻め上がれば歓声、失点すればため息が起きた。
大津は「ピンチやチャンスの声援の中でやれるのは本当にありがたい。幸せです」と口にし、齋藤監督も「言葉が出ませんよ。何よりの力になります。選手や関係者の思いが伝わってこの試合があるので」。
試合後には氷上でマイクを握り「厳しいスタートの中ですけど、グリッツ、ワイルズのファンの人たちと共にアイスホッケーを盛り上げていければと思います」と挨拶し、拍手を受けた。

大津キャプテンは取材対応など情報発信役も買って出ている

チームに価値を生み出すためにも、日本代表もいる選手の技術を高めるためにも重要なのが試合を増やすことだ。
大津も「練習で積み重ねるものと、試合で得られるものは全く違う。瞬間の判断力を上げないといけない。経験値を積める試合の大切さを感じました」と大きな問題と捉えている。アジアリーグ入りが叶えられなかったため、現在戦うことが決まっているのはグリッツとの8試合だけ。「残り7試合だけじゃなく、試合が増える可能性があると信じています」。12月に行われる全日本選手権への参戦など、様々な可能性を開こうとしているところだ。大津は続ける。

「他の会場ではアジアリーグが開幕している。我々がいないことで、どこのチームも8試合減ってしまったし、釧路で試合が激減するのは本当に残念。その中でできることを100%以上やらないと。来季、他のチームに劣らない強いチームとして、アジアリーグに加盟できたらと思う」

齋藤監督は試合が少ないことで、相手に応じて変わっていくのではなく、自らを貫いての強化を目論む。「毎週試合があると、ビデオを見て相手のシステムを確認して試合という繰り返し。でも今季に関しては、うちのやりたいホッケーを突き詰めていこうと思っています」。どんなチームにしたいのか、言葉にすれば…「ちょっと大きいかもしれませんが、最後まで諦めずに、ファンに喜びを与えられるチームにしたい。新しい子にどんどんチャンスを与えて、成長させたい」。言葉を選びながら並べた。

四半世紀、変わらず危機を繰り返すホッケー界「目をそらさずに」

指揮官がファンの前での試合に思わず感極まったのは、自らのホッケーキャリアにも原因がある。駒大苫小牧高を出て日本リーグの雪印入りしたのが1999年。わずか2シーズンで廃部の憂き目に遭い、今春のワイルズのように先の見えない不安な春を過ごした。ようやく立ち上がった札幌ポラリスは1シーズンで消滅。王子製紙への移籍という道を選んだ。だからこそ、選手に伝えたいことがある。

「ホッケーをやれる喜びを選手には理解してもらいたい。雪印の時も、ポラリスの時も、やりたくてもやめていくしかない選手をたくさん見てきた。今回多くの人の協力でワイルズができて、こういう遠征もさせてもらいながら、感謝の気持ちを噛み締めながら戦う。ここがそのスタートですね」

また大津の父・英人さんは日本リーグの古河電工でDFとして活躍したが、1998-99シーズンを限りにチームが廃部。まだプロのホッケーチームという概念がなかった日本で、苦労しながら日光アイスバックスを形にし、リーグ参戦にこぎつけたメンバーの一員だった。大津は言う。

「今回の事態は、父にも何度も相談しました。『今のアイスホッケー界を盛り上げられるのはお前らしかいない。信じた道を突き進め』と言われましたね」

「アイスホッケー界が、何十年も変わらないと言われるのは残念だと思っている。現役選手として、僕らが変えなきゃいけない部分もあると思う。そこから目をそらさずにやっていきたい」

日本のアイスホッケー界は、長野五輪を終えた2000年前後に男子実業団の廃部が相次いだ。大きな犠牲を払いながらプロチームを生み出し、何とかトップリーグの命脈を保ってきた。
しかしそこから四半世紀、選手たちに安心してプレーできる環境を与えるには至っていない。リーグの価値を上げる努力は見えず、経済的にも苦しくなる一方だ。選手が向き合おうとしているアイスホッケー衰退の現実に、連盟やリーグはどう道筋をつけていくのか。

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