覚えた日本語は「めっちゃ」 横浜グリッツから韓国代表入り
ルーキーDFキム・ドンファンが背負った“役割”
取材・文・写真/今井豊蔵
国際アイスホッケー連盟(IIHF)はこの秋、新たな国際大会として男女の「アジアチャンピオンシップ」を創設した。男子は6日にカザフスタンのアルマトイで開幕し、日本、韓国、中国、カザフスタンの4か国が総当たりで戦う。ここに横浜グリッツから唯一参加するのが、今季新加入のDFキム・ドンファンだ。初の韓国フル代表入りを果たした23歳は、なぜ日本のチームに飛び込み、何を感じているのか。
新設の「アジアチャンピオンシップ」にグリッツから唯一、代表メンバー入り
キム・ドンファンは延世大学の4年生だった昨夏、グリッツと練習試合を行ったのが縁となり入団を果たした選手だ。グリッツの選手と一緒に練習する機会もあり、ここでホッケーを続けたいと願うようになった。3月には当時の北海道ワイルズとの交流戦に出場。今夏になって、念願の入団が決まった。
ここまでアジアリーグでは8試合に出場。2カード目のHLアニャン戦で膝を痛めての欠場はあったものの、ベテランDFの熊谷豪士とコンビを組み、このリーグについて学んでいる最中だ。大学リーグとの違いを「大学の時とは全ての部分が違うと感じていますが、特に試合の進み方ですね。スピードも……いってみれば『ゼンブ』です」と口にする。
スペースの詰められ方も、プレッシャーも韓国の大学リーグとは全く違う。思うように動かせてもらえず、悩むこともあるが「どうすればいいのかな? と考えれば考えるほど、成長できる可能性も上がると思います」と前向きだ。先輩たちとのコミュニケーションは、片言の英語が頼みの綱。日本語も日々教えてもらいながら、少しずつ覚えている。「教えてもらったのは……。たくさんあるんですけど『めっちゃ』ですかね。単語にみんなめっちゃってつけるので、なんだろうと思って」と笑う。
韓国には大学チームが4つあるが、その先もトップレベルで競技を続けようとすれば、HLアニャンが唯一の道だ。ただ、現役の韓国代表どころか、平昌五輪でプレーした選手も多いチームの門をこじ開けるのは至難の技。キム・ドンファンも進路が見えない中で「とにかくホッケーが好きなので、未来は見えなくても1日1日頑張っていれば、いいチャンスは来るだろうと」と念じる日々を送った。
狭まる韓国でホッケーを続ける道「私が一生懸命やることで……」
同じく今季から東北フリーブレイズに入団したDFチョン・ホヒョンは、高校時代の同期だ。奇しくも今季の開幕カードは2人の対決でもあった。
「試合に集中していたので、その時は特に感慨というのはなかったんですが、ホッケーをしたくてあいつも難しい道を選んだので。2人ともうまくいけばいいなと思っています」
平昌五輪までの韓国アイスホッケーは前途洋々だった。日本にはできなかった世界選手権トップディビジョンへの自力昇格を果たし、世界ランキングも逆転した。代表の強化にアジアリーグが大きな意味をもつと、身をもって示していた。
ところが五輪後はアイスホッケーにかけられる予算が激減し、ハイワンもデミョンも解散。選手の兵役問題を解決するための軍隊チーム「サンム」は募集されなくなった。五輪当時高校生だったキム・ドンファンたちの世代は、進路が細くなる影響をもろに受けた。さらに今の状況を見れば、ホッケーをしている少年少女が夢を抱ける状況ではなくなっている。
キム・ドンファンは「少年少女よりも前に、今大学にいる選手たちも、私を見て日本のチームに行きたいなと思ってもらえるようになりたい」という。自身のグリッツ移籍は、延世大学が行った練習試合という縁に支えられてのものだった。「情報がとにかくないので、僕を通してこんな道もあるんだと知ってもらえれば」と、自身の活躍で、韓国でホッケーに打ち込む学生の新たな進路を切り開きたいと願う。
「最初に来た私がうまくなっていくことで、これからの選手にもグリッツに来てほしい。私が一生懸命やることで、自然とそういう道も見えてくるのではないかと思っているんです」
これまで、日本のチームでプレーした韓国人選手は複数いたものの、移動の煩雑さもあって韓国代表に選ばれることはほとんどなかった。今回の代表選出は、目標への第一歩。キム・ドンファンは横浜でもまれ、さらに大きくなっていく。