「皆さんが背中を押してくれた」
レッドイーグルス久慈修平が史上5人目の通算200ゴール

この日の勝利を喜ぶ久慈修平

アジアリーグアイスホッケー 1月28日(土) 会場:KOSÉ新横浜スケートセンター
横浜グリッツ 1(0−3、1−5、0−0)8 レッドイーグルス北海道

取材・文・写真/今井豊蔵・アイスプレスジャパン編集部

レッドイーグルス北海道のFW久慈修平が、史上5人目となるアジアリーグ通算200得点を達成した。
上野拓紀(元クレインズ)、斉藤毅(現クレインズ監督)、マイケル・スイフト(元ハイワン)、小原大輔(フリーブレイズ)に次ぐ快挙だ。2010ー11シーズンに、当時の王子イーグルス入りしてから13シーズン目でたどり着いた金字塔。第2ピリオド3分、ゴール前へ抜群のスピードで駆け上がると、FW中島彰吾が左から出したパスに合わせた。

衰えぬゴールへの意欲「250、300とまだまだ目指していきたい」

「うれしいですね。ここが目標というわけではないですけど」という久慈は「ジャパンカップの2年、ドイツでの1年があった上で、自身でも誇れる記録だと思います。ただ一人で達成できるものではないですし、今までのチームメート、監督やコーチ、応援してくださったファンの皆さんが背中を押してくれたと思っています。250、300とまだまだ目指していきたい」と周囲への感謝をまず口にした。

駒大苫小牧高、早大と世代屈指のスコアラーとして鳴らした。アジアリーグに進むときも「早くこのリーグでやりたくてしょうがなかった」という。ところがデビューから6戦ゴールがなかった。だから、記憶に残っているのも上海でのチャイナドラゴン戦で決めた初得点だ。その後は量産態勢に入り、ルーキーながら田中豪(フリーブレイズ)と並ぶ24ゴールで得点王に輝いた。

それから13年、肉体の変化はあっても、得点への欲は衰えない。「体力面では昔のように『ナンボ出ても大丈夫』というのは難しくなった。けれどアイスホッケーには色々な表現があります。シュートも、パックへの反応もダメになったとは思いたくない。味を出す、じゃないですけど、もっと上を見ながらゴールにこだわっていきたい」という。

最近も首脳陣から「ターンの練習をしたらどうだ」とアドバイスがあり、試してみると動きが変わったという。一瞬で相手を置き去りにするクイックな動きは、ずっと武器にしてきた。今一度の鍛え直しにも「知らず知らずのうちに『うまくやるように』なっていた。このタイミングで行けるというものを取り戻せれば」と前向きだ。

切れ味研ぎ澄ましたスケーティングでこの日もリンクを駆け巡った

ドイツでの試練で考えた「自分の持ち味」帰国したシーズンにキャリア最高成績

本当なら、もっと早くこの節目には達していたはずだ。
久慈のアジアリーグでのキャリアには「穴」がある。一つ目は2015-16シーズンのドイツでのプレーだ。欧州でも屈指の人気を誇るリーグに、日本人として初めて挑戦した。人気も実力もリーグトップの名門「アイスベアレン・ベルリン」に加入し、各国の強豪が集まるチャンピオンズリーグで日本人初得点を記録した。ただ肝心のリーグ戦「DEL」に入ると出番を失う。残った成績は37試合出場で2アシストがすべて。ゴールはなかった。ベンチに座ったまま出番なく終える日も多かった。トップスコアラーとして歩んだ日本では考えられない結果だった。

「アイスタイムをもらえれば…もう1年やれば10点くらい取れていたんじゃとも思いますけど、全てたらればの話です。帰ってきた時に、自分の持ち味ってなんだろう、FWならゴールしてナンボだろうとは改めて思いました。1年間出られなかった鬱憤を晴らしたかった」。翌2016-17シーズンはイーグルスに戻り、48試合で34ゴール、64ポイント。自己最高の成績を残している。

さらに、コロナ禍での影響でもキャリアに「穴」が開いた。昨季までの2シーズン、ジャパンカップで残した計24ゴールは、アジアリーグ通算成績には算入されていない。通算1位の上野は243ゴール。この記録を追いかけるには、久慈自身も「正直、コロナは大きいですよね……」というほどだ。

プレーしてきた13年間で、リーグやチームのあり方も大きく変わった。レッドイーグルスも王子製紙の「会社のチーム」からクラブチームへ生まれ変わった。「王子のサポートもありますが、ファンの力がより強くないと戦っていけなくなっている。SNSでの発信も、リンク上での表現も、令和のやり方があるはずです。ファンの皆さんに集まっていただけることに感謝したい。フロントも新たな挑戦をしてくれていますし、感じるものは大きいです」。レギュラーシーズンは残り9試合。まずはアジアの頂点へ、全力で駆け抜ける。

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