アイスホッケー「国スポ」へ、静岡県成年チームの挑戦。
その取り組みのベースにある思いとは?
取材・文/アイスプレスジャパン編集部 写真提供/松村夏海さん(静岡県国スポ成年チーム主将)
「国スポ」を巡る「マイナースポーツでもさらにマイナーな地域からの挑戦」
2025年に入り、アイスホッケーも各カテゴリーで大会が目白押しとなる時期が到来した。そのなかで、1月26日~2月5日までの日程で第78回国民スポーツ大会(略称:国スポ)の冬季大会、スケート競技(アイスホッケー、フィギュアスケート、ショートトラック)が岡山県のスケートリンク2会場で開催される。(スピードスケート競技は群馬県伊香保市で開催)
すでにトーナメント表も発表され、アイスホッケーは2月1日から成年、2月2日から少年の部それぞれで熱戦がくり広げられる。
「国スポ」と呼ばれるとなじみが少ない方もいらっしゃるかもしれないが、以前は国民体育大会、略称「国体」として知られてきた大会がいまの国スポだ。2023年1月1日の法改正(スポーツ基本法の一部を改正する法律(平成30年法律第56号))に伴い、2024年開催の夏季大会から国民スポーツ大会、略称「国スポ」に名称が変更された。
競技者目線から見ると非常に大きな大会の1つとして数えられ、都道府県対抗方式の対戦には選手たちも並々ならぬ意欲で臨む。成年の部ではトップリーグで活躍した選手たちが故郷の看板を一緒に背負って出場したり、意外な都道府県からかつての名選手が登場したりといった国スポならではの見どころもある大会だ。
そんななか、失礼ながらアイスホッケーが盛んではなく決して強豪とはいえない……静岡県チームが第78回冬季国民スポーツ大会で24年ぶりとなる本大会出場に向けて戦ったことが東海地域の話題となった。
アイスホッケー(成年の部)北信越・東海ブロック予選会。9チームが4つの本選出場枠をかけて愛知県名古屋市で対戦。その中で静岡県だけが県内にスケートリンクのない県だった。結果として愛知県、長野県、新潟県、富山県の4県が本選出場権を獲得し、今回静岡県は1勝を挙げたが及ばなかった。
スケートリンクのない県からの挑戦。その裏にどんな思いがあったのか?
同県湖西市出身で、今回静岡県成年チームのキャプテンとしてチーム作りから取り組んだ松村夏海さんに話をうかがった。
「1つ行動を起こすこと」が何かを生み出す。”スケートリンクのない県”の取り組み
静岡県は2024年5月に浜松市・浜松スポーツセンターのスケートリンクが老朽化および電気代高騰を理由に閉館となり、スケートリンクのない県となった。その後5月中旬には県アイスホッケー連盟や浜松市スケート協会が集めた3万1000人あまりの署名が浜松市役所に提出されて「市内に新たなスケート場を設置してほしい」との要望が伝えられたが、その後の動きはまだあまり見えない状況だ。
そんな状況のなか、松村さんが提唱者となり静岡県チームの選手たちが国スポにチャレンジした意義はどこにあったのか? まずはそこから話を聞くと、やはり将来に向けての危機感が根底にはあった。ただ、それはアイスホッケーはじめスケートスポーツができなくなるといったプレーの面だけではなく、もう少し踏み込んだものだった。
「静岡県チームを再生して国スポに臨もうという経緯について……まずこのままだと静岡にアイスホッケーがなくなってしまうという競技者としてシンプルな危機感というか、その気持ちは間違いなくありました。ただこの件は、静岡県という”マイナースポーツでもさらにマイナーな地域での話”にとどめるだけではいけないとも感じていました。日本でのアイスホッケー競技がこういう取り扱われ方と認知度になったのは『世界の中での日本のアイスホッケーの見られ方』と同じだということに気づかされた部分も大きいです」と松村さんは語る。それはどういうことか?
「アイスホッケー業界を俯瞰すると、いまは絶望的な状況に見えるかもしれません。内輪では頑張っているように見えてもそれが社会に伝わっていないし、アピールができていない。正直、今のアイスホッケー業界ってずっと負け続けている感じがしています。でも、そうだからこそ『1つ小さな成功を収める』ということが今は重要ではないか、と思い至りました。まだまだ小さいけれども、1つ行動を起こすことで、アイスホッケーってスケートってまだいけるんじゃないか、といった意識に変わっていくのではないかと」。
そのために今できることは何か、と考えたとき、まずは自分自身で動けることとして、国スポに静岡県代表で挑戦することに思い至った。松村さんはさっそくその実現へと動く。
「誰かが情熱をもって行動しなければ、人も集まらないし、賛同の和も広がらないという思いが根底にはあって、チーム再生にみんなで動いた、という原点です。経営者になった今だからこそ感じることとして、“物事を動かそうとしたり、物事を成し遂げようとしたりするときにはやはり情熱みたいな何かがすごく重要だ”と感じるようになりました。静岡にはアイスリンクがないから、と挑戦をしなかったら自治体も『静岡にこうやってスケートで盛り上げていこう』という人たちがいることを認識してもらえず先細りになってしまう。第1歩としてそこからのスタートでした」と松村さん。
その動き、静岡県代表の再建は地元新聞に取り上げられるなどまだまだ種まきの段階ではあるものの、1つのアピールとしての成果を生んだ。そしてもう1つ、松村さんには静岡でスケートを盛り上げることでいつか実現させたい思いがある。
子どもたちの成長機会の1つがスポーツ。その選択肢をより多く残すためのチャレンジ
「僕自身のこれまでを振りかえると、アイスホッケーというスポーツが人生を切り開く大きな力となったことは確かです。僕は野球やサッカー、テニスといった種目も子供のころトライしてみましたがなかなか続かなかった。でも自分にはアイスホッケーが合っていると分かって、競技にのめりこんで続けられたからこそ、それを通じて自己形成も仲間もでき、高校・大学と進む道を切り開けた。そんな風に思うと、幼少のころから多競技に触れられる機会があるからこそ子供たちにとってより自分に合った競技での成長機会を得ることができるはずです」
メジャーでないスポーツであっても子供たちがそれに触れる機会を確保することで、その中から大きく羽ばたく選手が出てくるかもしれない。その可能性をはぐくむ存在として静岡にスケートリンクが有ることは大きな助けとなるはず、と松村さんは考えている。ただそれを実現するためにはまだまだ越えるべきハードルがいくつもあることも承知している。
「『僕たちは静岡でスケートを頑張っています。なのでリンクを作ってください』というお願いベースでは経済や社会の状況を考えても自治体や企業がリンクを存続させるための理由とするのはなかなか難しい時代です。でもそこに子供たちの成長につながるといった教育からの視点や、スケートリンクと周辺施設をうまく組み合わせることによって地域経済の活性化につなげる視点など、現代に合わせた発想で取り組むことで道が見えてくるのではと思います。そもそも静岡は雪もほぼ降らない土地柄なので、氷の上で遊ぶということ1つからして子供たちが多様な体験をする一助となる。スケートリンクがあれば子供たちの将来や地域の発展に向けてできることが広がる。ではどう活用するか? コンサートや演劇などの拠点としても利用してもらえるような別ジャンルの文化活動とのコラボレーションなど“施設ができた後”の方法論までしっかりと考え取り組んでいけば道筋も見えてくるのではとも思います」
大学卒業後、ビジネスマンとして知見をたくわえ、現在はIT・ライブコマースの企業を経営する松村さん。国スポ挑戦は最初の1歩であり、将来へ向けての旗じるしだ。周囲の協力も得ながらスケートスポーツを盛り上げることが社会や地域コミュニティ、地域経済に寄与する形を作りたい。そして、ゆくゆくはスケートリンクの復活にもつなげたいという夢を持っている。その未来を実現するために、松村さんはアイスホッケー静岡県チームの国スポ挑戦の継続はもちろん、アイスホッケーそして静岡県のスケートスポーツを盛り上げるべく企業人としても活動していく思いだという。現在、積極的にスポーツ以外のビジネス系メディアの取材を受けるようにしているのもその一環だ。
「“リンクがないことで子供たちへの教育における1つのきっかけがなくなってしまった”、というデメリットがあることを知ってもらえるとまた周囲の考えも違ってくると考えてもいます。たとえば野球の大谷選手やフィギュアの羽生選手のような将来性ある子供たちがその競技に出会っていないだけ、ということもありうる。そんな未来のスターが地元から生まれるという可能性を保つためにも新しい産業や新しいエンターテインメント、あるいはこの地域のコンテンツとして、スケートリンクが何かを生み出せるようなアイデアを皆さんと一緒に考えていきたい」(松村さん)
もしかしたらその競技だからこそ世界的に活躍し、多くの子供たちが「あの選手のようになりたい」と願う選手が出てくるかもしれない。その芽が育つ環境を残すという観点も必要で、そのあたりにもヒントがあるのではないか? と松村さん。彼をはじめ、子供たちの可能性をはぐくむためにも、そういったスポーツとの最初の接点を作るべく動き出している人たちがいる。静岡県という土地からスケートを盛り上げ、厳しい時代を切り開いていく若い世代が生まれてきていることを歓迎したい。