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こちら『アイスプレスジャパン』まで見に来て頂いてありがとうございます。

こちらでは1月下旬、女子日本代表スマイルジャパンが北京五輪へ向けて日本を出発する直前に行われたリモート会見で、選手・監督が北京オリンピックへ向けて語った「強い想い」をお伝えします。
会見の要旨となります。文字が多くなりますが、ぜひご覧頂いて、選手たちの思いを共有して、スマイルジャパンを応援していただければと思います。

オリンピック期間限定の公開となります。

『スマイルジャパン』北京へ向かって 山下光&山下栞選手 

FW 山下光(姉)、DF 山下栞選手

山下光選手(左)、山下栞選手(右)

Q:いよいよオリンピックイヤーですが、今のお気持ちを教えてもらえますか

光:4年前や8年前のオリンピックは見て応援している側だったので、ずっとあこがれていた舞台に立てるのはすごくドキドキしています。

栞:私もずっと憧れていた舞台に立てるのは楽しみなのですけど、それ以上に結果を残さないといけない世界なので、緊張している部分や不安もあります。

光:私の長所はスケートを生かしたプレーで、強引にゴールに向かう姿や早プレッシャーでパックを奪って、そこからスコアリングチャンスをつくったり、自分がスコアするのもそうなんですけど、そういうプレーを見ていただけたらと思います。

Q:得点に関してはどうですか。

光:私のポジションはFWなので、オリンピックでスコアしたいです。世界選手権でもチームの中で、一番に得点を取ることができたので、チームの勢いを付けるゴールをしたいと思っています。

栞:私は冷静なプレーが長所だと思っていて、守りが重要なポジションなので、相手に抜かれないポジションをうまく取るという守りのプレーを注目してもらいたいです。

Q:光さんは中学の時に、詩織さんは小学校に、大阪から家族と北海道に移住して大きな夢を追いかけきたと思うんですけど、改めて家族への思いを教えてください。

光:一番初めてに声をかけてくれたのはお母さんなので、その一言が無かったら自分は今ここにいないと思います。自分たちが一歩上のステージに行けるような声かけをしてくれたのもそうですし、北海道に行ってからも大変なことがあったんですけど、一緒に大変なことを乗り越えてくれたことに感謝しています。

栞:私たちにお母さんが最初に声を掛けてくれて、その後の私たちの決断に対しても反論せずにいいよと言ってくれて、支えてくれて、色々協力してくれたので、オリンピックで活躍して恩返しできればなと思います。

Q:今北海道に行くっていう話が出てきましたけど、その辺のいきさつを、大阪から北海道に行こうと思った当時はどんな感じだったのか、改めて教えていただけないでしょうか。

光:一番大きなきっかけは2014年のソチオリンピックにスマイルジャパンの先輩たちがテレビで戦っているのを見て、お母さんが、こういう舞台に立ちたかったらもっと上のレベルでホッケーをしなければだめだよと声を掛けてくれて。その時戦っている先輩たちがとてもかっこよく見えたので、私もこういう風になりたいと思い、北海道に行くことを決めました。

栞:私はオリンピックの頃は小っちゃくて、そういう意識は無かったんですけど、お姉ちゃんとお母さんが話し合いをしているのを決めて、行くからには自分も挑戦したいという気持ちがありました。小学校6年生という最後1年間だけ北海道で過ごすことになったんですけど、そういう面で最初はちょっと嫌だなと思ったんですけど、今は早い時期に北海道に来て正解だったなと思います。

Q:北海道での楽しい思い出があったら教えてもらえますか。

光:北海道にホッケーで行ったことで言えば、今代表でキャプテンやっている大澤さんのサインを、ちほさんたちが本州のスクールに来たときにサインをもらったことがあって、すごい憧れの選手と一緒のチームでプレーできるのが、一番うれしくて。今も代表として一緒に戦うのもうれしいことです。

栞:アイスホッケーをするために北海道に来たんですけど、北海道は寒いので冬になると家の前の駐車場にリンクを作って姉とホッケーをしたり、友達と凍った湖でホッケーをするのが北海道ならではで楽しかったです。

Q:北海道に来るきっかけはソチということでしたが、4年前の平昌はどこでどういう風にオリンピックを見てらっしゃいました。

栞:私は白鳥王子アイスアリーナでパブリックビューイングが行われていたので。そちらに行ってみんなで応援していました。

光:私も同じく白鳥アリーナだったんですけど、ちょうど平昌が開催される直前に肩を脱臼して手術して入院していました。冬は道も滑るので外出はだめと言われたんですけど、先生に頼み込んでオリンピック見たいからと言って無理やり外出許可をもらってパブリックビューイングを見ました。

Q:肩の痛みを乗り越えて見てたそこからの4年間はどうでしたか。

光:その時はちょうど手術したてだったので、肩も動かない状態だったので、4年後に本当にオリンピック行けるのかなと思ってたんですけど、リハビリの先生もサポートしてくれて、北京オリンピックの代表に選ばれて良かったです。

QF:さっき、世界選手権の初ゴールを決めたとおっしゃいましたけど、トップディビジョンでゴールを決める気分はいかがでしょうか。

光:トップで決めるのもそうですけど、スマイルジャパンとしての初ゴールだったので単純に嬉しかったというか。自分一人で持っていたシュートではなくそれまでに一緒のセットの先輩方が繋いでくれて、最後のパスを合わせたという感じなので、本当にチームメートに感謝したいです。

Q:光さんにお伺いしたいのですが、世界選手権はファーストライン、セカンドラインでセンター米山さんと組んだり、床秦留可さんと組んだりだったと思うんですけど、それぞれご自身のプレースタイルとか考えることはどういう風にちがいましたか。

光:そんなに大きくは変わらないんですけど、二人とも上手い先輩なので、好きにやっても合わせてくれる、ミスしても合わせてくれるという感じで。知奈さんは北海道のチームに行ったとき一緒に組んでたりしたので自分が好きなことやってもすぐにサポート来てくれたので、自分の強味を出すようなプレーをしようと、長所生かしたプレーをしようと考えていて、秦留可さんはパスが上手なのでゴール前にいいパスをくれるので、ゴール前にいてパスきたら絶対決めようという気持ちのちがいですかね。そんなに大きなちがいはないです。

Q:でも大澤さんからサインもらってその先輩と同じラインでやってたというのは気持ちはどうだったんですか。

光:今はそんなにあまり考えたことはないんですけど、初めてフル代表で一緒にやるときは震えたというか、ずっと憧れていた人と一緒にやれるのは楽しいなと思ってやってました。

Q:詩織さんにお伺いしたいんですけど、世界選手権では鈴木さんとペアだったと思うんですけど、どういったことを言われたり、どういったこと心がけてプレーしていますか。

栞:私はまだ全然たよりない部分があると思うので、自分が気になったことは全て世奈さんに聞くようにしたり、周りの先輩方に質問するように心がけていて、先輩方からも「詩織からコミュニケーション取りに来てくれるのはうれしいよ」と言われました。
経験の差は埋められないと思うんですけど、先輩に質問したことを吸収してそういう先輩からのアドバイスを速く吸収して少しでも追いつけるように頑張らなきゃと思ってプレーしています。

取材・文/アイスプレスジャパン編集部

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