積み上げた「573」リーグ通算ポイント新記録
キム・サンウクが「見て学べる選手でした」お手本だった日本選手

取材・文/今井豊蔵 写真/今井豊蔵、編集部
2026年1月11日(日) アジアリーグアイスホッケー2025‐26シーズン @韓国・アニャンアイスアリーナ
HLアニャン 2(0-0、2-0、0-1)1 レッドイーグルス北海道 観衆:1145人
ゴール:【アニャン】榛澤、キム・サンウク 【レッドイーグルス】入倉
GK:【アニャン】イ・ヨンスン 【レッドイーグルス】小野田
シュート数:【アニャン】27(8、13、6) 【レッドイーグルス】20(8、5、7)
HLアニャンのFWキム・サンウクが、1/11(日)にアニャンアイスアリーナで行われたレッドイーグルス北海道戦で自身通算573ポイントをマーク。アジアリーグ通算最多記録を更新した。2010-11シーズンに当時のアニャンハルラに入団して以来、14シーズンかけて打ち立てた偉業。その裏で深く感謝した人物がいる。
小原大輔を超える通算573ポイントを記録……助っ人級の攻撃力
第2ピリオド15分9秒、キム・サンウクはコーナーでターンを繰り返して相手選手のマークをはがし、ゴール裏のFWキム・ゴヌ(ゴンウ)にパス。その間にスルスルとゴール前に入り、戻ってきたパスを叩いた。GKとポストのわずかな隙間を正確に突き、今季16点目。コクドからクレインズ、王子イーグルス、東北フリーブレイズとチームを渡り歩き、長く日本代表でも活躍したFW小原大輔さんの572ポイントを抜いた。
これが決勝点となり、チームも2-1で勝利。試合後のインタビューでマイクを向けられたキム・サンウクは「ここまでできるとは思っていませんでしたが、この場所まで来ることができてとても嬉しいです。指導してくださった監督、コーチ、一緒にプレーした先輩、後輩、そして今もプレーしている選手たちに助けられました」と一気に語った。記録の裏には、何人もの恩人がいたのだという。
「まずアニャンのチョン・モンウォン会長が、私をチームに入れてくださらなければ、私はここにいませんでした」
11日まで、アジアリーグ通算457試合出場で154ゴール419アシスト。1試合あたりのポイントは1.25に達する。これは助っ人級の攻撃力で、200試合以上出場した選手の中ではマイケル・スウィフト(ハイワン)の1.67、デイブ・ボンク(バックス-クレインズ)の1.40、ブロック・ラドンスキー(ハルラ)の1.38、ダーシ・ミタニ(クレインズ-ハイワン)の1.36に次ぐ数字だ。
コロナ禍で減ってしまったが、かつてのアジアリーグには華麗なテクニックでファンを沸かせる外国人選手が多くいた。キム・サンウクが影響を受けたと口にするのは、通算172試合出場で実に273ポイントを挙げ、ポイント率「1.59」を誇るパトリック・マルティネツだ。
レフトハンドのお手本だった日本人「見て学べる選手でした」
「パトリック監督との出会いは大きかった。韓国の選手が実力を伸ばす大きなきっかけにもなりましたし」。チェコ・エキストラリーガの強豪、スパルタ・プラハを代表するセンターとして鳴らしたマルティネツは、現役終盤をハルラで過ごした。キム・サンウクは現役生活こそ入れ違いだったものの、コーチ時代、そして監督となってから指導を受けてきた。

アジアリーグへのデビューは、2010年12月11日。福島・磐梯熱海で行われた東北フリーブレイズ戦だった。翌日の2試合目でもう、初ポイントとなるゴールを挙げている。当時はまだ延世大学の学生。年末に大学の選手として東京・東伏見で日本の大学生と交流戦を戦い、そのまま大きな荷物を担いでハルラに合流した。
この年、わずか14試合の出場で3ゴール11アシストと活躍すると、フル参戦した翌シーズンは36試合で12ゴール26アシストの38ポイントをマークし、最優秀新人に選ばれた。さらに2016-17シーズンは48試合出場、14ゴール54アシストでリーグMVP。平昌五輪を目指した韓国代表強化の流れにも乗り、軍隊チームのデミョンサンムへの移籍も経ながら数字を積み上げた。「オリンピックとか、サンムの恩恵を大いに受けながらアジアリーグでプレーし続けられたからこそ、ここまで来られた」という中では、相手チームに格好のお手本もいた。
「僕が若い頃から親しくしていて、好きだった選手は田中豪選手(フリーブレイズ)ですね。ライバルというよりは、私が見て学べる選手でした。レフトハンドがあまりいなくて、その中で一番上手な選手だったので」
現在のペク・ジソン監督からも学んだことは多い。NHL経験もある指揮官からは、平昌五輪を目指す韓国代表から指導を受けてきた。氷上の5人が一体になって動こうとするチーム哲学は、現在のHLアニャンにも共通だ。それはセンターでもウイングでも数字を残せる要因だという。
「まず私たちのチームシステム自体が、ウィングだとかセンターだとか位置は決まっていますが、皆一緒に動くので、大きな違いはないと思います。ウイングをやった時は、攻撃的な役割に集中して体力を少し温存もできるのですが、センターはまた別の役割がある。その中でもう少しポイントできる位置をうまくとろうと考えています」
兄と二人三脚「とにかく一緒に長くやってきたのにいないので……」

キム・サンウクはアジアリーグで14年間プレーし偉業に到達した。小原が18年かかったことを考えると、今後このスピードに迫る選手が現れるのは容易ではない。さらに選手生活の中では、フィンランド2部リーグでのプレーや、コロナ禍でアジアリーグに参戦できなかった時期もある。KHL移籍を目指し、クンルン・レッドスターのトライアウトに参加したこともあった。フルにアジアリーグで戦っていれば、もっと数字を伸ばしていたはずだ。
37歳になった今季、すでに16ゴールで自己最多まであと1とし、また新たな境地に達している。これほど安定した記録を残している中でも、毎年必ず変化と戦っているという。「チームには今年も少し変化がありますが、毎年きついと思っているので……。特別にきつかったという思い出はないです」。ただ、特に大きかった変化は、3年前の2022-23シーズンを最後に兄のキム・ギソン(現HLアニャン・アシスタントコーチ)が現役を退いた時だ。練習もいつも一緒。アニャンの練習では、2人が最後まで氷上に残っているのが常だった。
「少し心理的にというか、とにかく一緒に長くやってきたのにいないので、ちょっと寂しい面もありますけどね……」
試合後のリンク。どの会場でも、キム・サンウクがファンの消えたスタンドを黙々とランニングする姿がある。1人でも必ずクールダウンをしてから引き上げるのは、以前の韓国のチームではなかなか定着しなかった文化だ。長くプレーするためには何が必要なのか、後輩に伝えていく立場となった。
「昨シーズンなどは負傷者がとても多くて、かなり苦労したんです。そうしたことを防ぐためにも体の管理だとか、よく聞かれることがあるので、たくさん教えてあげようとしています。少し早く出てきて練習をする姿勢だとか、ゲームでは局面ごとの状況について、話してあげるようにしています」
「後輩たちが頑張って,僕の記録を超えられるような、より良い選手になってほしい」と話すキム・サンウク。世代交代を進めるアニャンの中で、まだまだ替えの利かない存在であり続ける。