清宮幸太郎も後押し「頑張ってこいよ」
グリッツGK冨田開、山あり谷ありの北米挑戦で折れなかったワケ

清宮幸太郎選手(左)が新横浜に訪れて生まれた冨田選手とのコラボレーション。アイスホッケーファンにとっても嬉しい邂逅だった

取材・文/今井豊蔵 写真/今井豊蔵

アジアリーグアイスホッケー ジャパンカップ2024
12月28日(土) @神奈川・KOSÉ新横浜スケートセンター 観衆:1071人
横浜グリッツ 2(1-0、0-2、1-1)3 栃木日光アイスバックス
ゴール:【グリッツ】杉本、大澤 【アイスバックス】出口、寺尾、磯谷
GK:【グリッツ】冨田 【アイスバックス】福藤
シュート数:【グリッツ】36(15、11、10) 【アイスバックス】27(8、13、6)

 昨年12月28日、意外なコラボレーションが氷上を沸かせた。プロ野球・北海道日本ハムファイターズの清宮幸太郎内野手がジャパンカップの横浜グリッツ vs 栃木日光アイスバックスの試合を訪れ、試合前の記念フェイスオフなどに参加したのだ。きっかけは、グリッツのGK冨田開と清宮が、早実高(早稲田実業学校高等部)で同級生だったこと。冨田は早実高を3年夏に退学し、その後北米のホッケー界に飛び込んだ異色の経歴を持つ。清宮も背中を押してくれたという海外挑戦の裏側を教えてくれた。

清宮と冨田…異例のコラボは早実の同級生という縁

普段はキャプテンが赴くはずの記念フェイスオフでは“競演”も。左はアイスバックス鈴木健斗キャプテン

 冨田と清宮は共に、1999年生まれの25歳。早実高2年の時に同じクラスになった。競技こそ違え、揃って世代別の日本代表に選ばれていたことから仲良くなった。その2年生が終わり、3年生になろうとするころだったという。冨田は早実を自主退学して、北米でキャリアを積んでいこうと決めた。

「僕は家族くらいにしか言わずに、自分だけで決断したんですが、清宮に伝えたら『頑張ってこいよ』と言われたのを覚えています。彼もアメリカでスポーツをやることに関心があったと思うんですよ。引き留めはなかったですね」。

  青森県三沢市出身の冨田は、より高いレベルでホッケーをできる環境を求めて東京の早実高に進んだ。ステップは順調だった。U18の日本代表に選ばれ、2017年春には世界選手権D1B(3部相当)にも出場した。ただそこで感じさせられたのは世界との差。スロベニアとの試合に10失点し敗れたのは衝撃的だった。相手チームには、後に世界各国のリーグでプロとなる選手が揃っていた。

「昔から海外に行きたいとは思っていたんですが、このままやっていてもダメだと思ったのはその時です。ここが自分のタイミングなのかなと思いましたし、そのタイミングで行かないとダメだと思ったんです」

 ただ早実といえば、学業の面でも有数の進学校。中退してしまえばせっかく乗ったレールから降りることになる。そして冨田の決断を難しくする要素が、もう1つあった。当時のチームには、GKが1人しかいなかったのだ。自分がここで部を辞めてしまえば、戦う形を取れなくなる。

「もちろん苦しい決断でした。でもチームの同期もみんな『行ってこい』と言ってくれて……」。ここでも冨田のチャレンジを、清宮と同じように皆が後押ししたという。GKの穴はのちに、FWだった選手が転向して埋めた。

 大学3年まで出番無し……それでも気持ちがブレなかった理由は

アジアリーグではルーキーながらシュートセーブ率92.31%を記録し(1月12日現在)、GK防御率ランキングで堂々のトップだ

 冨田の北米でのプレーは山あり谷ありだった。18歳の夏からはカナダのホッケーアカデミーでプレー。その後は2シーズン、主に20歳以下の選手がプレーするジュニアリーグで腕を磨いた。大学進学という狭き門をクリアし、NCAA(全米大学体育協会)3部に所属するニューイングランドカレッジに入学すると、3年生まではほとんど出番がなかった。新型コロナ禍を経て、(救済措置として)上級生が5年間大学リーグに出場できるようになったのもその環境に輪をかけた。ただ、冨田に泣き言はなかった。

「自分で決断して行ったこと。あと早実のチームメートにも迷惑をかけて行ったわけで。ダメだったから帰ろうとか、そういうことはできなかった。覚悟が固まったのはありますね。実際、スポーツをやっていると結果が出ない時の方が多いですし、そうなると時間も長く感じる。でも未来を信じて、やるべきことをやろうというマインドはブレませんでした」

 折れなかった日々は、最終学年になって報われる。4年生だった昨季は18試合に出場し、9割が1つの基準となるセーブ率も.909。昨年5月に大学を卒業すると日本に戻り、デュアルキャリアを掲げる横浜グリッツに加わった。開幕から正GKのポジションを奪い、アジアリーグでもトップのセーブ率92.31パーセントを叩き出す(1月12日現在)。

 清宮とは米国時代も、年に1度帰国するたびに会っていた。高校で出会った時から、すでに世代の有名人だったが「良くも悪くも普通なんですよ。やさしくて気取ってないし、スポーツ選手としてというより、人として尊敬できる」。後を追うように自身もプロとなった今は「彼の頑張りを見て、自分も頑張ろうと思える存在です。切磋琢磨していきたい」と、より気になる存在となった。

 高校を辞めて北米に渡るという大きな決断をしてから、もう8年になる。日本でプロとなった今、いい選択だったかと聞くと冨田は「今はまだわかりません。ただ後悔していないのは確かです。価値はこれからのプレーと、人生で決まるんだと思います」ときっぱり。現役を退くその日まで、全力で駆け抜ける。

Update: