長野五輪代表・三浦孝之さん、アイスバックス福藤豊選手が登場

文・写真/アイスプレスジャパン編集部

レジェンド・元国土計画の星野好男さん、VTR出演となった現男子日本代表コーチ・山中武司さんのお話のあとは、座談会は中盤を迎え、長野オリンピックに日本代表DFとして出場された三浦孝之さんの登場となった。
前編に引き続き、お送りする。

座談会には新旧のレジェンドが勢ぞろいした(左から三浦さん、福藤選手、星野さん、大澤さん、司会・加藤さん)

(司会:加藤じろうさん)
続きまして、三浦孝之さんのご紹介に移りたいと存じます。
三浦孝之さんは、日本で2回目に開催されましたオリンピックの冬季競技大会、長野オリンピックの日本代表のディフェンスマンとしてプレーをされました。現在は東京を中心に大学や、そして女子の大学チーム、さらには様々なカテゴリーでのコーチをしていただいております。
それでは三浦孝之さんにお話を聞きたいと思います。

さて、まず三浦さんにお聞きしたいんですけれども、三浦さんの出身地は東北の八戸ということです。八戸も今はねクラブチーム・フリーブレイズのホームになってますので、アイスホッケーは身近かもしれませんが、当時の八戸のアイスホッケーというのはどんな感じだったんでしょうか?

三浦孝之さん「心が削られる海外。しなやかに復活する気持ち・力を日本で準備して挑戦を」

(三浦孝之さん)
はい、今はトップチームとしてフリーブレイズができて、アイスホッケーが非常に盛んな地域として苫小牧・釧路・北海道と並ぶところと呼ばれていますが、当時は私が小中高のときは苫小牧・釧路のトップチームとやると10点差がつくような後進県というか。ですので非常にコンプレックスというか劣等感を感じて何とか北海道に追いつけ追い越せというような思いでやっていましたので、あまりいい思い出はないですね。今は八戸がすごくアイスホッケーが盛んになって非常に嬉しく思っております。

(司会)三浦さん自身はU-20の代表にもなったりとか、また東京の大学に入りながら西武鉄道の選手として活躍され、日本リーグ優勝、そして先ほどご紹介したオリンピックというステップアップをしたわけですけれども。そういったところでまたいろんな三浦さんの魅力もお話していただきたいんですけども。三浦さん、アイスホッケーでこれだけは譲れないっていうところもちょっとお話しいただけますか。

(三浦)そうですね、なかなか当時はそういった実力差がありましたので八戸からトップチームの実業団に入るということは数少なくてもう数人でしたので、私もその夢の中の夢、実業団のトップチームに入るということでした。
それが同郷で私は高校の大先輩に当たります西武鉄道監督で元札幌オリンピックの代表監督だった田名部先生が地元にいらっしゃいまして、田名部先生から西部(鉄道)に誘われてですね。たまたまラッキーに入団できたいうところです。
あと私の特別なところでいうと、当時はなかったんですが、勤労学生として大学に通いながら西武鉄道そのままでプレーできたということで、東京でやれるのであればそういった流れということですね。そこも特別な形で入団させてもらったのを覚えております。


(司会)そしてですね、最近ではご子息の優希さん。いろいろとSNSで情報発信などもしておりますし、プレーヤーとしても活躍されていますけれども。率直にパパから見て優希選手の活躍はいかがでしょうか?

(三浦)そうですね優希というよりは、海外のチャレンジしている選手に向けての話になるのですけども。10年前に息子がスタートしたときには、NHLに入りたいとかゴール設定はあったのですがプロセスや道のりが全くなかったということで、非常に不安視されながらスタートしておりましたが、今はこれからビデオメッセージで出ます平野選手はじめパイオニアの選手たちが日常的に見える世界を作ってもらいまして、プロセスがしっかりできてきたと思っております。
なおかつ、大学の方では、NCAAの現状は私の息子もそうですが佐藤航平くんが切り開いて道を作ったということで、今までのゴール設定からプロセスの手法ができたと思いますんで、ぜひこれを海外に向けて準備していってもらいたいと思います。
ただ1つアドバイスをすると、北米の中での競争は非常に厳しいものがありまして心を削られることが多く、心が疲弊してしまうということがあります。最近でいうと「レジリエンス」という言葉がありますけども、しなやかに復活する気持ち・力、というのを日本で先に準備してですね、心のトレーニングをしっかりして海外にチャレンジしてもらいたいと思います。

(司会)はい。熱いアイスホッケーへの想いを語っていただきました。三浦さんありがとうございました。

福藤豊選手「海外に挑戦する選手を日本からサポートする体制が理想。ぜひ実現を」


続きましては、福藤豊さんにご登場いただきたいと思います。
さて福藤さんは、ご存知の通り日本代表のゴーリーで、そしてNHLでは見事に4試合をプレーした日本の草分けのプレーヤーになりますけれども、まずここまでのプロキャリアを振り返ってどうでしょうか。

(栃木日光アイスバックス・福藤豊選手)

そうですね、僕は、小学3年生からアイスホッケーを始めて4年生からゴールキーパーだったんですけど。当時の実業団はですね、コクドだったり、西武鉄道だったり、そういった選手たちにあこがれて、いつか僕もその舞台で戦ってみたいなっていう気持ちで小さい頃は過ごしていました。
本当に恵まれた環境の中で僕も18歳ぐらいの頃から日本代表として世界の大会に連れて行っていただいてそこで初めて日本では見たことのないような景色というか、海外選手のプレーを見ることができて、新たな目標が生まれて海外に挑戦したという形ですね。
僕は入口がNHLのチームからドラフトされてアメリカに行ったので、行くことに関してはそんなに苦労はしなかったんですけど、行ってから7年、オランダ、デンマーク、この3カ国でプレーしましたけどなかなか馴染めない時期もありましたけど、自分の強い信念を持って貫いて戦っている感じですね。

(司会)私も福藤さんに会うために直に取材に行きましたけども、やはりあの東洋人でNHLに入ってきたということで、なんかもうね、マイナーリーグのチームメイトからいろいろ防具を隠されたり、水びたしになったりとか、そういうのもあったそうですけども。

(福藤)それはそうですね、19歳のときに初めてアメリカに行ったときですけど、今振り返っても厳しい1年だったなと思いますし、ただ、あの1年が僕自身を強くしてくれたのは間違いないですし。今でこそ良い経験だったと捉えられるんですけど、でも経験できてよかったなと思います。

(司会)はい。そして本当に頂点をしっかりと踏んだゴーリーとして、日本のアイスホッケー、そして日本のゴーリーに何か期待というのはいかがでしょうか?

(福藤)最近では他の競技と一緒で、海外にプレーの場を求めている選手もすごく増えてきていると思うので。ゴールキーパーも含めてですけど、今後そういったことがこれ以上に大きくなってその活動を日本からサポートできる形を作っていくのはすごく理想なのかなと思います。

(司会)サポートという言葉がありましたけれども、私も自前でですねNHLの福藤選手の公式戦、観戦に行かせていただきまして。逆にスタンドにいた私を見てくれたりもしましたけども(笑)。代表してですね、福藤選手のジャージが売れるようにということで、ステープルズセンターのショップ全部ですね33番、当時福藤選手がつけていた番号を表側に店舗の一番わかるところに飾ったのを覚えてますけども。そういったね、選手がまた次へ、2人目3人目4人目と出てほしいと思うんですけども。福藤さんから見てこれから日本のアイスホッケー界は小さい子供も目標にしてると思います。ぜひエールを送っていただけますか。

(福藤)そうですね、僕なんかは自分自身アメリカで成功したとは思ってなくて、海外のチームで成功したとは思っていないので、今後優希も含め平野選手だったり、そういった選手が北米だったりヨーロッパで活躍してほしいなと思いますし、彼らが作った道っていうのは今後これからもずっと続いていくと思うので、そういった選手が増えてくれることを願っています。

(司会)今お話いただきましたけれども、三浦浩之さんのドラフト指名があった後、福藤選手は日本人でのNHLプレイヤー第1号ということですので、またこれが1号2号だけではなくて、もう本当にNHL選手も珍しくないよというね、そんな時期が来てくれることと思います。福藤さん、でもまだまだ現役として活躍してますんで、そちらの方のまだまだ頑張りますよっていうのも。

(福藤)もう少しだけ頑張りたいなと思います。できる限りは頑張ります。

(司会) 今、福藤選手からできるだけ頑張ると言っておりますので、ぜひNHL第1号選手に敬意を表して、ぜひ皆さん福藤選手に温かい拍手をいただけますか。(会場拍手)
ぜひ、こういった拍手をもらう選手がまた日本からどんどんと出てほしいと思います。ありがとうございました。

福藤選手が登場し、座談会はいよいよ終盤へ。NHL昇格を目指して、今はAHLのアボッツフォード・カナックスでプレーする平野裕志朗選手と、女子日本代表スマイルジャパンのキャプテンとして3度のオリンピックにスマイルジャパンを導き、今年引退を発表して新たな道を進み始めた大澤ちほさんが登場する。

その模様は後編でお伝えする。<後編は1/28朝公開予定>

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