「ありがとう、キモさん」~キモ・ホッカネンレフェリー引退

3/21(日)アジアリーグジャパンカップ 栃木日光アイスバックス対王子イーグルス戦が日本ラストゲームとなった 

取材・文:今井豊蔵 写真:アイスプレスジャパン編集部

札幌アイスホッケー連盟所属のフィンランド人レフェリー、キモ・ホッカネン氏(54)が今季限りで引退することになった。3/21日に東京・ダイドードリンコアイスアリーナで行われたアジアリーグ・ジャパンカップの栃木日光アイスバックス-王子イーグルス戦を最後の笛に、フィンランドに帰国した。

「あと5年くらいはできるのかな」と思っていたというが、折からのコロナウイルスの流行で故郷との距離はとてつもなく遠くなってしまった。ヘルシンキから1時間ほどの距離にあるゴウボラに住むことは決めたものの、現地で何をするかはこれから。レフェリー職についても「もう、子供の試合くらいになると思います」と第一線からは身を引く。


登録地であり、子供からトップまであらゆるレベルのレフェリーを務めてきた札幌での笛は、3/14日に行われた全日本選手権女子の決勝戦が最後だった。試合を終えると、月寒体育館の氷上で深々とお辞儀してみせた。

3/14女子全日本選手権決勝でもいつも通りの安定感あるレフェリングを見せた

来日前はフィンランドの最高峰リーグ・SMリーガでもレフェリーを務めていたホッカネン氏は、2000年に当時の日本リーグに審判技術向上のため招聘された。初めて裁いた試合は2000年2月19日のコクド-日本製紙戦(新横浜)。この試合、結果を見れば両軍合計40反則、FW坂井寿如、DF三浦浩幸(コクド)ら4選手がミスコンダクトペナルティを受ける乱戦となった。大乱闘に両軍5人づつを退場させたホッカネン氏は、翌日の新聞に「反則に厳しい審判のジャッジ」と書かれたことに違和感を覚えた。「一番覚えている試合です。あそこは厳しくとっていかないと、ホッケーではなくなってしまうと思ったから」。日本のホッケーを強くしようと思うなら、世界に目線を合わせなければならない。それは選手も、レフェリーも一緒だった。

ほぼ20年にわたり様々なカテゴリーでホイッスルを吹いた

ホッカネン氏ほど長く日本で笛を吹き続けた外国出身レフェリーは他におらず、国際基準の判定は時に物議をかもした。札幌連盟に所属し笛を吹き始めた2002-03シーズンも12月1日、日本リーグの西武鉄道-日本製紙クレインズ戦(東伏見)。第3ピリオド3分20秒に起きた大乱闘で西武鉄道の主将FW小林友人、日本製紙のDF伊藤賢吾ら合計9選手から同時にラッフィングの反則を取った。「どんな試合であっても、レフェリーの仕事は選手を安全にプレーさせることです。ルールはどこでも同じですから」。譲れない信念があった。

選手を見る目は常に厳しくも、暖かさがあった

気がつけば流ちょうな日本語を操るようになった。日本中どころか、アジアリーグを開催した各国、さらに国際大会でも笛を吹き続けたホッカネン氏は選手、関係者からも、ファンからも「キモさん、キモさん」と親しみを込め呼ばれるようになった。

「皆さんに本当に感謝しています。日本語がわからないときから本当にみんな優しくしてくれた。こんなに優しい人がいる国は日本だけだと思います。フィンランド語にはない言葉ですが『おもてなし』をたくさんしていただきました」。

選手ではないが、日本アイスホッケーの発展に尽くした一人。大きな拍手を送りたい。

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