「味わったことがない不安に襲われて…」横浜グリッツ・久慈修平、誕生の裏側
縁に助けられた現役延長で持てた「覚悟」
取材・文/今井豊蔵、写真/今井豊蔵、アイスプレスジャパン編集部
いよいよアジアリーグアイスホッケーが開幕! 9月7日(土)より横浜グリッツvs東北フリーブレイズ(新横浜)、HLアニャンvs栃木日光アイスバックス(韓国・アニャン)の2カードで熱いリーグ戦の火蓋が切られます。
IPJが注目したのは今季、長年在籍したレッドイーグルス北海道を離れて横浜グリッツに移籍した久慈修平選手。王子製紙時代からまさにチームの中心選手として活躍を続けてきた久慈選手が移籍を決断した背景とはなんだったのか? 今井豊蔵記者が久慈修平選手の心の内にじっくりと迫りました。
前後編に分けてお届けします。(編集部)
「次は自分」どこかで覚悟していたレッドイーグルスの戦力外
アジアリーグアイスホッケーが9月7日に開幕する。参戦5年目の横浜グリッツに新加入したのが、アジアリーグ史上5位タイとなる通算206ゴールを残す久慈修平だ。この春、昨季までプレーしたレッドイーグルス北海道を戦力外となり退団。新天地はデュアルキャリアという新たなやり方を掲げるグリッツに決まった。退団から揺れた胸中と、グリッツでの新たなホッケー人生にかける思いをたっぷりと語ってくれた。(全2回の前編)
4月17日、レッドイーグルスから発表されたプレスリリースはホッケー界をざわつかせた。2010年に王子イーグルスへ入団し、途中1年間のドイツ挑戦を挟んで13シーズンプレーしてきた久慈の戦力外は驚きである一方、本人はどこかで覚悟していたものでもあった。
アジアリーグのチームが抱える選手数は、日本リーグ時代と比べても減っている。20人台前半の体制が普通となり、新人が入れば誰かがチームを去ることになる。大学生の選手は、獲得を検討するアジアリーグのチームで練習に参加することもある。誰が内定したという話は、選手の耳にも当然届く。
どれだけチームに貢献してきても、この宿命から逃れることはできなかった。「年齢順で戦力外になっているなとは、ここ数年感じていたところです。もし年齢で見られてしまったら次は自分になるだろうなと、思ってはいたんですが……」と久慈。ただ、納得はできなかった。
「昨季は体の調子も良かったんです。ひざの手術をしてから、痛みがなかったのは初めてで。『アイスタイムさえあれば……』と本当に思っていました」
久慈が昨季残した数字は、30試合に出場し6ゴール7アシスト。ここ何シーズンか、出番はわずかな時間に限られていた。HLアニャンとのプレーオフでも、起用は4つ目のFWライン。実に第3オーバータイム、103分35秒を戦う死闘となった第1戦でも、ベンチを温め続けた。
移籍の意思を示しても「アクションはなかった」
「結果を見れば、アイスタイムが少ない中で成績は残していたと思うんです。プレー時間あたりの成績というか、コスパ的にはちゃんとできていると思っていました。ただこれはプロとしての僕の考えで、レッドイーグルスには別の考えがあったということになるんでしょうね」
現役を続けたいという思いが先に立った。アジアリーグには登録5シーズンを満たしたところで使えるFA制度がある。戦力外になった久慈はFA書類を提出し、移籍の意思を示した。ただ、わずか5チームのリーグ内に選択肢は少ない。どこも編成を完了している中で、獲得したいという声はなかなかかからなかった。
「2週間くらいは何のアクションもなかったです。引退するしかないのかなとも思いました。これまで味わったことのないようなストレスや、不安に襲われて……。でも、ホッケーをできなくなった時に、自分が何をしたいのかはまだ全然わかりませんでした。いろんなことが頭をよぎって、気持ちの整理ができなかった」(久慈)
そんな中で、グリッツから獲得の可能性があるとの連絡をもらった。6月上旬には入団がほぼ固まったが、もう一つ大きなハードルがあった。デュアルキャリアを掲げるグリッツでは、ホッケーだけで生活していける収入は得られない。他にも仕事を探すのは、37歳の久慈にとって大きなミッションだった。
ここで助けになったのが、ホッケー人生で築いてきたつながりだ。主将としてインカレで優勝した当時の早稲田大学監督で、FWとして日本リーグの古河電工でもプレーした松原達哉氏が、古河電工ビジネス&ライフサポート株式会社で代表取締役社長となっていた。さらに古河電工グループには、女子サッカー選手のデュアルキャリアを支援した例があった。「これも縁だなと、本当に感謝しています」という、同社への就職がまとまったのは7月中旬。シーズンの準備を始めるには滑り込みだった。
久慈は王子イーグルスには社員選手として入団した。それが2015-16シーズン、ドイツのトップリーグDEL1部のアイスベアレン・ベルリンに移籍するタイミングで退社し、プロ選手となった。もう一度、仕事をしながらホッケーをすることになるとは思いもしなかったという。
「プロとして終わるのが理想だと思っていましたよ。気持ちとしてレッドイーグルスで引退したいというのはありましたけど、後悔したくないというのが先でした。今はデュアルキャリアでやり切りたいという覚悟は持てたと思います」
激変した環境から受けた刺激「また考えながら練習するように」
グリッツに合流したのは、7月も終わろうかという頃だった。リーグの中でもプレーや生活環境に恵まれたレッドイーグルスでプレーしてきた久慈にとっては、日々驚きの連続だという。
「でも、この年齢で変化を感じることができるのは、自分にとってはプラスだと思ってやっています。(大澤)勇斗から、大変な部分もあるとは聞いていたけれど、毎日すべてが驚きです。今のところは」
グリッツは今季就任した岩本裕司ヘッドコーチの方針で、陸上トレーニングの量を増やした。それでも久慈にしてみれば「トレーニングの量は全然違います」というところだ。ただ練習量の不足を補い、うまくなる方法はあるはずだと言う。
「ジムもトレーナーも当たり前にあったところから、今度は自分で考えてやらないといけないじゃないですか。これまで楽をしていたわけじゃないけれど、環境に甘えていた部分はあったのかもしれません。だから、また考えながら練習するようになりました」
リンク外でも驚きはある。8月29日に行われた延世大学(韓国)との練習試合、試合途中にロッカーを空けなくてはならなくなった。ピリオド間に荷物を出し、リンクサイドでの着替え。一般貸し切りの時間を使って練習しているチームにとっては宿命かもしれない。
「毎日『こんなことがあるの?』という驚きです。でも、ストレスじゃなく、前向きに受け止められているかな。『そうなの?』という感じですね。そこで環境をよくするために何ができるんだろうと考えて、フロントに伝えるのも僕の役割だと思っているので」
レッドイーグルスだけでなく、ドイツで一番の人気を誇るチームでプレーした経験も生きる。毎試合、一万人超の観客がリンクに押し寄せる世界に身を置いた日本人は久慈だけだ。真のプロを知る男が、グリッツをリンク内外で変えようとしている。